「13歳からのアート思考」から音楽にできることを考える

「13歳からのアート思考」を読んで音楽に何ができるか本気で考えたプレイヤー向け

どうも、ヤスイです。僕は本が好きで、音楽聴いたりギター弾いたりしてるより本を読んでる時間のほうが長いくらいなんですが、最近衝撃的な本と出会いました。

それがこれ、「13歳からのアート思考

13歳からのアート思考

これがすごかった。僕はいちアーティストとして、この本を読んで「もっと音楽には可能性があるんじゃないか?」と思ってこの記事を書き始めたわけです。現状、何を書くかは決まっていません。ただ、この本を読んで色々とアイデアが出たので、それをなんとか形にしてみたいと思います。
僕はアーティストなので実現できそうなアイデアが出たら自分たちでやりたいと思いますが、もしこれを読んでいるあなたもアーティストなら、なんらかの参考にしてください。もしかしたらなにかひらめくかもしれない。それが、コロナ禍において変革を迫られている、音楽・エンタメ産業を変えるきっかけになるかもしれない。

13歳からのアート思考の概要

まずはこの本がどういうものか。それを簡単に紹介します。
まず「13歳からのアート思考」というタイトル。アート思考は最近ビジネス界隈でもかなり人気で、一時期は「週末に美術館に行くビジネスパーソンは年収が高い!」みたいな記事が出て美術館に行くことが流行った時期もありました。因果関係がめちゃくちゃなので、そういう記事を読んで美術館に行く人は多分出世しないだろうなと思ってたものです。

まあそれはおいておいて、アート思考というのが非常に重要である、というのはアーティストだけでなくビジネスシーンでも常識になったわけです。で、著者いわく、多くの人は13歳頃にアートが嫌いになって、アート思考を失うそうなんです。ピカソも「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」という有名な言葉を残していますよね。
思い返せば子供の頃、拾った木の棒で丸一日遊んでました。一つの木の枝が魔法の杖になったり、伝説の宝剣になったり、忍術の道具になったり…今だったら北欧家具に使われる高級な木の棒でもそんなに時間潰せません。アーティストとして活動していますが、昔の自分のほうがよっぽどアーティストだった

で、この本ではこんなエピソードが紹介されています。次の画を鑑賞してみてください。

モネ・睡蓮

クロード・モネ(1840~1926年)
「睡蓮」
1906年ごろ/キャンパスに油彩/大原美術館所蔵

印象派の中心人物と知られるモネが、彼が愛した水生植物の睡蓮を題材に、季節や時間とともに変化する光の効果を捉えた一連の絵画作品の1つ。岸や空を描かず、大胆に水面だけを描いた構図からは、日本美術の影響も感じられる。

 

どんな感想を持ちましたか?
「へえ、日本画の影響を受けているんだ」「一連ということは他の睡蓮もあるのか。確かにモネといえば睡蓮だよな」「岸や空を描いていないことがミソなのか」というのが多いと思います。
実はこれ、画を見ているんじゃなくてその下の解説文を見ているだけなんですよね。で、著者はいう。

わたしたちは1枚の絵画すらじっくり見れない

辛辣。でも確かにそうです。僕も時々美術館行きますけど、解説のある画とない画では見ている時間がぜんぜん違う。画からなにかを感じようとするより、解説文からなにかを学ぼうとしているんでしょうね。ただそれはアート思考ではない。

で、あるとき子どもが睡蓮を見て「カエルがいる」と言ったそうなんです。
頑張って探してもカエルはいないです。どこにいるのか聞いたら「今は水に潜っている」と答えたそうです。

これこそアート思考であると。

なるほどな。説明文を読んで納得するのはただの確認作業で、自分なりのものの見方や考え方を見つけ出すアート思考とは全く違う。

いやあ、何冊も画集を持ってますけど、恥ずかしい。めっちゃ説明文読んでました。

アート思考の正体

と、まあここまではオープニング。我々がいかにアートを見る目がないかということを突きつけられました。
じゃあそのアート思考とは一体何なんだと。著者はこれを「完全なタンポポ」に例えています。タンポポの花をイメージしたとき、黄色い花だったり、白い綿毛を想像すると思います。でも、実はタンポポが咲いているのは1年のうち1週間ほど。その後綿毛になって、ふわふわ飛んでいって、どうなるか。実は1年の大半は根だけになって地上から姿を消しています。
つまり、タンポポと聞いて思い浮かべる黄色い花や綿毛はタンポポのごく一部でしかない。目に見えない地下に根が伸びていて、そここそが本質であり、そこに目を向けるのがアート思考であると。

13歳からのアート思考より

13歳からのアート思考より

本書ではこんな図で表現されています。地上に見える部分は「表現の花」、つまり作品です。画だったり彫刻だったり、音楽だったり色々ありますが、最終的に出来上がったもの。それが表現の花です。
で、地下には「興味のタネ」があって、そこから「探究の根」が伸びています。ここに目を向けるのがアート思考だと。

なるほど。まあ似たような話を聞いたことはありますが、腹落ち感が強い。
例えばルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチは「目に見えるものすべてを把握する」という興味のタネを持っていて、そこから探求の根を伸ばしていきました。その過程で、人体を解剖したり、科学を探求したり、色々やった結果、遠近法を生み出し、モナ・リザをはじめたくさんの表現の花を咲かせたと。

本書ではこの続きで「なぜ今アート思考が重要なのか」をいろいろ説明してくれるんですが、それは省きます。興味がある方は読んでみてください。

で、ここからアート思考について色々教えてくれるのですが、本書の素晴らしいところは大量の作品を並べたり、アート思考のメソッドを紹介したりするのではなく、「アートの歴史を変えた6つの作品」に着目して教えてくれるところです。
そう、6つしか出てきません。でも人々に衝撃を与え、アートの歴史を変えた6作品です。バンドでいうならレッド・ツェッペリンやQUEEN、The Beatlesとかですかね。彼らが出てきたとき「え、そんなのありなの?」となったわけです。QUEENは「ラジオで3分以上の曲なんて聞くわけねえだろ」って言われながらも6分くらいあるボヘミアン・ラプソディを作りましたし、レッド・ツェッペリンは第一印象が重要だった音楽において「聴けば聴くほど味が出る」音楽を作って一時代を築きました。

そういう6つ。で、それぞれに「その作品が何をしたのか」を学ぶことができます。
つまり、その作品がアートの何を壊し、何を築いたか。どんな探求の根が伸びて、どんな表現の花を咲かせたのか。

これを読みながら僕が感じたことは「音楽ってまだまだできることあるんじゃない」ということです。レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジは「ギターは6本の弦に支配されるかされないかだ」みたいなことを言ったそうですが、まさしく、偉大な先人たちの表現の花に縛られて、まだ伸ばしていない探究の根や、違う花の咲かせ方があったんじゃないか。そう感じたわけです。

これから「13歳のアート思考」で紹介されている6つの作品と、それに対して僕が考える音楽の形を不完全ながら書いていきます。

アンリ・マティス 見たものそのままが正解じゃない

まず紹介する作品は20世紀のアートを切り開いたアーティストと呼ばれるアンリ・マティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」です。
まずは作品そのものをどうぞ。

画像:緑のすじのあるマティス夫人の肖像

画像:緑のすじのあるマティス夫人の肖像

まあ一旦そのまま見てみましょう。お世辞にもキレイな画とは言えません。線は荒いし、色はめちゃくちゃです。背景もなにか意味があるのか3色に色分けされていますが、問題は顔ですよね。真ん中に緑のすじがあって、その左右で肌の色も質感も違う。
この作品が公開されたとき、「妻の公開処刑」とまで言われたそうです。

で、ここまでは表現の花を見ているだけで、アート思考とは言えません。問題は、マティスがどんな興味のタネをもって、どんな探究の根を伸ばしたのかです。

時代背景を説明すると、この作品が公開されたのは1905年です。この頃、世界的に大きな発明が一般に普及してきました。「カメラ」です。

それまでの絵画作品は宗教や貴族、裕福な市民のためのものでした。教会は聖書にあるワンシーンを描かせ、貴族は自分の肖像を描かせ、裕福な市民は自分たちの日常を描かせました。
確かに、授業で習う作品の多くが宗教画か肖像画か、風景画です。これらが何をしたかったのかというと、残したい、伝えたい一瞬を画にしたかったんです。貴族だったら肖像画を描いてもらって数世代後も「うちの先祖、こんなんだったんだぜ」とか、風景画だったら「うちの地元ののどかな風景を都会のやつらにもみせてやろうよ」とか、そういう目的で画を書いていたわけです。

ただ、カメラの登場で見たものを正確に表現する、一瞬を切り取るという役割を絵画が担う必要がなくなった。一瞬をそのまま切り取るなら圧倒的にカメラのほうが強い。有名な画家もカメラを見たときに「今日を限りに絵画は死んだ」と言ったそうです。確かに「一瞬を正確に表現する」ことが目的だったら、ダ・ヴィンチのモナ・リザもカメラに負けるわけです。

これまでの役割は通用しなくなった。じゃあ、絵画とは、アートとは何なのか。

ここにマティスの挑戦があるわけです。
つまり「見たままを正確に表現しなくていいんじゃない?」という問いかけです。

つまり、マティスは「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」において、美しい妻の肖像を残したい、とは考えなかった。その役割はカメラに任したらいい。色を単なるイメージとして好き勝手使う。質感は背景の表現も、実物を参考にする必要はない。
「いや、たしかにうちの妻は左右で肌質が大きく違うわけじゃないんだけど、別によくない?肌質が知りたいんならカメラで撮ればいいじゃん。せっかく面白い絵の具と変わった筆があったから、それ使いたかったんだよ」的な感じでしょうか。

マティスが壊したものは「見たものを正確に表現する」という絵画の役割です。その代わりに創ったのが「カメラにできないことやろうよ」というコンセプト。
著者いわく、この作品から現代アートが始まったんだそうです。

音楽にとって”正しい”とはなんだ

ということで、マティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」から、音楽について考えていきましょう。
マティスの投げかけた問いは抽象化すると「正解ってなに?」ということになると思います。よくよく考えると、音楽はこの問いを何度も繰り返しています。例えばQUEENは「売れる音楽の長さは3分半くらい」という正解に対し、「いや、ボヘミアン・ラプソディは6分くらいあるけど売れたやん」と反論したわけです。
「ロック・音楽はこうあるべき」みたいなもののぶち破りの連続です。ちょっと前の日本だとゴールデンボンバーとかね。いや、バンドなのに演奏しないの?ってツッコミたくなりますが、「バンドは演奏するもの」という正解を壊してきたわけです。初期のボーカロイドとかもそうですよね。もともとなんのために使えるのかもよくわからなかった技術を、ボカロPと呼ばれる人たちがどんどん曲を創っていき、一つのジャンルにまで成長しました。「ポップミュージックは人間が歌うもの」という正解を壊してきたわけです。

では、今ある音楽の正解を壊すことができるか。これがアート思考ですね。「音楽の正解を壊したい」という興味のタネから、色々調べたり経験したりして探究の根を広げ、何らかの形で表現の花を咲かせる。

新しいものではありませんが、僕はこの章を読んで、落合陽一氏の「耳で聴かない音楽会」を思い出しました。
これはメディアアーティストの落合陽一氏(2025大阪万博のプロデューサーにも選ばれたすごい人)が2018年に開催した取り組みで、聴覚障害者も楽しめるクラシックコンサートとして話題になりました。
「SOUND HUG」という音楽に合わせて光ったり振動したりする球体を抱いて音楽を聴覚以外の感覚で感じる音楽で、かなり衝撃を受けたことを覚えています。

これです。「音を抱きしめたことがありますか?」「あなたの体が耳になる」という最高にキャッチーな製品で、イベントでレンタルすることもできるらしいです。
「音楽は耳で聞くもの」という当たり前過ぎて壊しようがなさそうな正解を、振動と光で感じるという方法でぶち壊してきました。

ただこれ、我々バンドマンからしたら、ある種当たり前の感覚です。ミュージックビデオは視覚と聴覚の両方で楽しむコンテンツだし、ライブハウスの爆音は間違いなく皮膚を揺らし、触覚に届きます。照明や匂いなど、音以外のあらゆる要素がライブハウスにはあります。ただ、当たり前過ぎてあまり意識していない。音楽にはかなりこだわるくせに、照明にこだわるアーティストって、少なくともインディーズではあまり多くない。まして、音の振動やライブハウスの匂い、湿度や気温まで気にする人がどれだけいるだろう。どこまでいっても音楽は「音」を楽しむもの、という正解があります。

僕は最近流行りのライブ配信とか正直全然好きじゃないんですが、この章を読みながら「視覚と聴覚しかないからだ」と思いました。ライブって、音を聴いて、照明やパフォーマンスを見て楽しむもの。そう考えたらライブ配信でいいはずです。でも、なにかつまらない。そうか、ライブハウスにはそれ以外の要素がたくさんあったんだ。

そこに目を向けてなにかできないか考えると面白そうですね。
一時期、本や印刷物でいい匂いがする紙を使うことが流行りました。これもそういうことですよね。五感には視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚があって、この5つに優先順位があるわけじゃない。
ライブハウスは五感のすべてに訴えかけられるはずなのに、聴覚と視覚にしか注目していない。これは非常にもったいない。

今、僕のバンド(Hecatoncheir sisters)はコロナの影響で屋外活動自粛中ですが、次イベントするときには「触覚」「嗅覚」「味覚」にこだわって見てもいいかもしれない。
「SOUND HUG」のように光と振動で音を感じられるものを、ライブ配信で導入しても面白いかもしれませんね。

他にもフラッシュアイデアですが、こんなことをしてみたら音楽に違う楽しみが生まれるかもしれない。

  • 匂いがするCD(匂い発生装置はすでに開発されている)
  • ライブ中、曲によって違うお香を焚く
  • ライブハウスの邪魔にならないところにゴム紐を張る(いい感じに振動してくれそう)
  • ディスプレイにオーディオスペクトラムを自動で表示させる
  • ライブハウスで曲ごとのコンセプトに味付けしたカレーを出す(シンプルにやってみたい)
  • ライブ演出にARを導入する(これもシンプルにやってみたい)
  • モスキート音みたいに聞こえない音を鳴らしまくる(何かを感じ取れるかも)

この程度で良ければいくらでも出てきそう。すでにやっているやつもあるけど、頑張って100個くらい出したら1つ2ついいアイデアになるかもしれません。「音楽は聴くもの」という正解を壊す方法。ちょっと時間をとって真剣に考えてみたいですね。

あと5つのアート思考

意外と長くなったんで、ここで一旦終わります。本書が紹介する6つのアート思考、まさかの1つ目までしかかけませんでした。あんまり長くなりすぎると読むのも書くのもしんどいと思うので、一旦区切りつけましょう。近日中に書きます。

13歳からのアート思考」という本、個人的には本当に衝撃的でした。僕は音楽に対してそこまで新しいチャレンジとかしないタイプで、むしろ王道をちゃんとやりたいタイプなんですが、その王道を疑うきっかけになりました。
音楽は古代からあって、宗教的な役割を果たした事もあれば、チーム、団体の結束をまとめる役割を果たしたこともあります。文化や伝承を伝えるためにも使われてきましたよね。映画やカフェのBGMのようにその場の空気を創るためにも使われますし、一時期は脳波とかに注目して「集中力が増す音楽」とかも流行りました。

誰もがなにかの役割で音楽と触れ合っています。僕の感覚として、もう新しい音楽はあまり生まれてこないだろうと思っています。なんてったって、音階はたった12個しかなくて、音楽はそれをどう組み合わせるかでしかない。Amazon Musicに登録されている曲だけで6500万曲もあるので、もうそんなに新しい組み合わせはないだろう、絶対他の誰かも似たような曲出してるだろうと思っていました。

ただそれは「表現の花」だけ見たときの話です。「表現の花」だけを見れば、音楽の基本形態や理論は確立されているので新しいものは出にくいかもしれません。でも、探究の根に目を向けたらもっと可能性がいっぱいありそうです。
また、音階やコードといった正解もぶち壊せるかもしれない。音階は「ドレミファソラシド」ですが、これも確定されたものじゃないんですよね。僕も最近知りましたが、バロック音楽の「ド」は一般的な音楽の「ド」より半音くらい低いらしい。モーツァルトの曲をそのままの楽譜で、現代のピアノで弾いたら、モーツァルトが弾いていたものより半音高くなるんです。

そう考えると、まだまだ壊せそうな正解はたくさんあります。
では次回、残り5つのアート思考を学んで、音楽の正解を壊していきたいと思います。

続く。

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